開業15周年 開業当時を振り返る

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地域医療を目指すなら、自治医大で

つるかめ診療所副所長の鶴岡浩樹(つるおかこうき)です。開業15周年ということで、自己紹介を兼ねて、当時のことを振り返りたいと思います。

私は東京都中野区で生まれ、小学2年生の時に八王子に引っ越し、高尾山の麓で育ちました。順天堂大学医学部を卒業する頃、地域医療を志すことに決め、同大学呼吸器内科の吉良枝郎先生のすすめで、自治医科大学地域医療学教室に就職しました。吉良先生は順天堂に赴任前は自治医大で教授を務めておられ、「地域医療を目指すなら、自治医大で研修したらどうだ」と中央線の中で言われたのがきっかけでした。

自治医大の地域家庭診療センターで外来や在宅医療の研鑚を積む

自治医大に就職すると同大学附属病院の地域家庭診療センター(後の総合診療部)で外来や在宅医療の研鑚を積みました。ですから、その時から換算すると、下野市で足掛け30年、在宅医療に従事していることになります。初期研修が終わる頃、順天堂大学で同級生だった現所長の鶴岡優子と結婚しました。

それ以降は夫婦二人三脚で、自治医大を軸に病院、診療所、老人保健施設など様々な設定で地域医療の研鑚を積みました。中でも、岩手県藤沢町民病院で内科医として務めた2年間は、医師として成長した時期でした。

2001年から2003年には、米国オハイオ州にあるケース・ウェスタン・リザーブ大学家庭医療学教室に客員研究員として夫婦で留学もさせていただきました。帰国後は自治医科大学附属病院総合診療部の外来医長など務めました。

2007年12月5日、私たち夫婦の共に40歳の誕生日に、
つるかめ診療所を開業しました。

開業の記念樹

開業当初は私が所長でした。自宅の一角を診療所とし、椅子や机は当時日本に上陸したばかりのIKEYAで手に入れ、組み立てました。3人の子どもたちに手伝ってもらって壁に漆喰を塗り、診療所の周りには、ネットやカンセキで購入した木を植えました。シンボルツリーであるジューンベリーは、私たち家族にとっては思い出深い留学の地、クリーブランドゆかりの木でした。

東日本大震災を機に、私は介護や福祉の人材育成に関わりたいと思い、現職である日本社会事業大学の教員となり、所長を優子に交代し、現在に至ります。

あれから15年、時がたつのは本当に早いですね。

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1993年順大医学部卒。自治医大地域医療学教室,藤沢町民病院(現・藤沢市民病院)内科,ケース・ウェスタン・リザーブ大家庭医療学講座,自治医大病院総合診療部を経て,2007年につるかめ診療所設立。13年より日本社会事業大学大学院福祉マネジメント研究科で教鞭を執る。日本プライマリ・ケア連合学会認定家庭医療専門医。